白瀧酒造の歴史

白瀧酒造の酒造りは安政2年(1855年)、湊屋藤助により始められました。越後と江戸を結ぶ三国街道の要衝である湯沢の地で、旅人・行商人を相手に酒を提供しました。

国内には1000近くの酒蔵がある中、新潟県にはほぼ1割の100近くの酒蔵が集まっています。酒造りの長い歴史と酒造りに恵まれた自然環境のもと、良い酒を生み出し続けています。

雪国越後湯沢の「水」

「トンネルを抜けると雪国だった」という川端康成の「雪国」の舞台越後湯沢は世界有数の豪雪地帯、新潟県魚沼地方に位置します。たっぷりと積もった雪は、春に雪解け水となり地面に染み込み、およそ50年の年月をかけて清冽な地下水となります。
白瀧酒造の自社敷地の3本の井戸から汲みあげる水は酒造りに適した軟水で、すべてのお酒の仕込みに使われ、白瀧酒造の酒質を決定づけています。

 

白瀧酒造の酒造り

「上善如水」 最上の生き方は水のようであるという中国の老子の言葉のように、私たち白瀧酒造は、柔軟でしなやかな姿勢で、水のようにピュアな酒造りを目指しています。
160年の酒造りの歴史と、自然豊かな酒どころ新潟の大きな流れを更にその先へ流していくために、真摯に酒造りに取り組んでいきます。